記録される人生

人生が記録されていきます。

英単語には意外な意味があって面白い

最近洋書のミステリーを読んでいて、「accessory」という単語に出会った。

「……accessory to someone's murder, ……」という文で使われていて、アクセサリーって何だろうと思って調べてみると、どうやら法律用語で、「共犯」という意味らしかった。アクセサリーというと装飾品のアクセサリーしか浮かばなかったので、そういう意味もあるんだなとひとつ勉強になった。

 

他には「…still smarting from…」という文で見かけた「smart」という単語。「痛み」や「感情を害する、傷つく」という意味もあるとのこと。

日本で「スマート」という時の意味とは全然違う。

 

「mannerism」も最近立て続けに出会って、「言葉遣いや動きのクセ、特徴」という意味で使われていた。

 

「study」という単語も、文の中でどういう意味で使われているのかわからなくて辞書で調べてみたら、「スケッチ」という意味がのっていた。

 

「clock」という単語は、もちろん時計という意味もあるし、イギリス英語では、人の顔を殴るという意味にもなるらしい。

 

「catch」は日本でのイメージなら、つかまえるという意味のキャッチだけれど、「裏、隠された問題点」という意味になったりする。上手い話には裏がある、なんていう時の「裏」のこと。さらに、結婚相手や恋人としてふさわしい人物のことも、「catch」で表したりするみたいだ。

 

どれも本を読んでいて見かけた表現。洋書を読んでいると、こういう意外な意味を発見したりして面白い。

独身でいること

僕のスマホには写真や動画を家族と共有できるアプリがインストールされていて、そこに定期的に甥っ子の成長記録が送られてくる。

家族一緒に楽しそうにしているところや、元気に暴れまわっている姿を見るのは微笑ましいのだけれど、それと同時に、家族を持って子育てをするのは自分には一生縁のないことなのかもしれないな、なんて思いも頭をよぎったりする。

 

結婚に興味のないまま何となく年を重ねてきて、いつのまにかアラフォーと呼ばれる年齢に差し掛かってしまい、このま行けば独身道まっしぐらの人生。

独り身の気楽さは何物にも代えがたいとは思うものの、結婚しないと将来孤独になるだとか、老後の生活が大変だとか、そういう発言を聞いたりすると、なるほど今はよくても将来後悔するのかなと、身の処し方をちょっとは考えてみないわけにもいかない。

 

自分自身の人生を振り返ってみるに、結婚に無関心なままここまできたのは、単純に一人でいることが好きだというのが原因の一つだろう。人のいる空間や人と交流しないといけない場所を避けて、一人でいられる環境を自然と求めてしまう。

これはもう子どもの頃からの傾向なので、きっと生まれつきそういう性質なんだろう。長いこと一人で居ても何の苦もないし、むしろその方が自分の好きなようにできて気が楽だ。

 

だからといって人が嫌いなわけじゃない。誰かと過ごすことでしか得られない種類の楽しさもあるし、人と接することなくずっと家に籠ってたら、きっと精神的にまいってしまう。ただ僕の場合は誰かといる時間がちょっとでいいんだろうと思う。それはもうそういう気質なのでしょうがない。そういうわけで、結婚して誰かと一緒に暮らすのはきっと向いてないのだ。

 

ただ、将来独身なのを後悔することもあるんだろうかと思う。昔は一人でも平気だったのに年をとってから孤独に耐えられなくなった、なんて声をネットで見たりすると、はてこれは自分の未来の姿なんだろうかと想像してしまう。

気持ちなんて結構変わってしまうものだ。今はよくても、年をとり、周りの状況が変わるにつれ、真逆の考えを持つに至っても全然不思議じゃない。

でもそうなったとしても遅いかもしれない。結婚は相手あってのことなので、したいと時にできるものでもなく、年齢を重ねるほどに結婚するのが難しくなっていくのは明らかだ。子どもを作って育てていくとなると、さらにハードルが高くなる。

支え合う人も身近におらず、自分だけのために生きる人生。悪い面だけを見ればそんな言い方になるんだろうけれど、将来の自分はどうなっているのか。少なくとも、自分の人生なので自分の責任で進んでいくしかないことだけは確かだ。

5回目のTOEIC受験をしようと思う

締め切りが近づいてきたので、忘れないうちに3月17日のTOEICを申し込んだ。

前回受けたのが11月で、4ヶ月ぶりの受験になる。目標としては前回のスコアである925を超えて、950をとること。

900という大台を超えたときは嬉しくて、とりあえず満足な気持ちではあったけれど、超えたら超えたで次なる目標を設定したくなるもの。

 

どうしてさらに高得点を目指すかというと、特にとらないといけない理由があるわけでははなくて、完全に自己満足の世界だ。

ただ、点数という客観的指標で現在の力を測ることができるので、英語学習の動機づけのひとつになる。

それに、2時間ひたすら集中し続けて試験に取り組むという機会は他にないから、それが結構楽しかったりする。終わったあとはだいぶ疲れているけれど、充実した2時間でもある。

 

TOEICでさらに高得点をとるためには、リーディングのスコアを伸ばさないといけない。

過去2回は時間内に全問終わらせることはできたけれど、結構制限時間ギリギリだ。

急ぐことに気をとられているせいで中途半端な読み方になっているのか、手応えの割にはスコアがそんなに伸びていない。

そこの勉強法に関しては、TOEICのためだけの勉強をすることはほとんどないかなと思う。やっても公式問題集を解くぐらい。スコアを上げたいとは思っていても、それだけを理由にするのはどうしてもモチベーションが続かないし、楽しくないので。

それよりも、洋書やニュース記事を読んだり、英文精読の本を読んだりしていく中で、自然とリーディングの力がついていったらいいかなと思う。

今後も定期的に受ける予定。TOEICの試験がもう少しお安くて、近場で開催されてたら、もっと頻度を高めに受けるかもしれないけれど、やっぱり数か月に1回ぐらいになりそう。

 

不機嫌なお客さん

長年接客業に携わっていると、いろいろな人に出会うので、人に対する耐性のようなものができてきて、ある程度のことでは動じなくなる。

とはいっても、常に平常心で対応できるかというとそんなことはなくて、やっぱり気分の下がってしまうこともたまにはあるのだ。

 

不機嫌な人の相手をするのもそうで、ちょっと面倒だなと思う。

ただ単にむすっとしていたり、無愛想なだけなら別に良いのだけれど、あからさまに不機嫌オーラを出してくる人もいるのだ。

こういう人に出会うとこちらもちょっと構えずにはいられない。態度も悪く、言葉の端々にもトゲが感じられて、そりゃあ失礼でしょうという言動をする人もまれにいる。

こういうぞんざいな扱いを受けると、こちらも人間なので、「そういう態度なら、こちらも適当に対応してやりたい!」と素の自分が思うのだけれど、残念ながら立場上そんなこともできない。

そんな心の声を抑えて、淡々といつも通りに接客するのみだ。相手の勢いにひるんで、弱気になったりおどおどしたりしてはいけないので、いつもより声量を上げて、平然とした態度を貫く。しかしながら終わった後には嫌な気分がちょっと溜まってしまう。

 

こういう人というのは、たまたま虫の居所が悪かったのか知らないけれど、接客する側も同じく感情を持った人間であり、対等な立場であるということを忘れてるんだろうなと思う。

何か嫌なことでもあったのなら、それを人にぶつけるのではなくて、自分で処理すればいいのになと、知らず知らずのうちにため息が出てくるのだ。

 

接客業というのは、ストレスになることもあるけれど、その経験があるおかげで良かった面もあって、それは、同じ業種に携わる人の気持ちが理解できるということだ。

接客の大変な部分を身をもって実感しているので、お店の人などに優しい気持ちで接することができるようになる。

 

感情労働」という言葉があるけれど、人と接する仕事は、常に自分の感情のコントロールが求められるので、状況次第で精神的に消耗してしまうこともある。

多分周りで接客をしている人も、表面上はそう見せないだけで、嫌なこともあれば疲れて休みたいときもあるはずだ。でもそれを見せずにずっと対応しているのだから、それを思うと優しい気持ちで接さずにはいられない。

 

2次会はカラオケ

職場の人との飲み会が開催されることとなった。

飲み会というと基本的にはあまり気乗りがしなくて、特に大人数のワイワイガヤガヤした雰囲気の会はちょっとご遠慮したくなる。けれども今回の集まりは少人数で、話しやすい人たちの集まりなので良かった。

 

で、飲み会というと2次会の相場はなぜかカラオケであって、前例からいってもおそらく今回もそうなるだろうと思われる。

こういう時、さて何を歌おうかなとちょっと迷う。十八番もないし、聞かせるほどの歌声もないのだ。

これがヒトカラであれば、何の気兼ねもなく自由に選べる。

誰も知らないようなマイナーな曲も、人前で披露するのを躊躇してしまうような難しい曲も入れ放題。

感情を込めて熱唱しようと、テンション高くノリノリで歌おうと、思い切り調子外れの歌声を響かせようとも笑われはしない。

 

ところが誰かとカラオケにいくとなると、そういうわけにもいかない。

完全に自分の趣味全開でいくのは気が引けるので、結局は、たいていの人が知っている曲で、なおかつ歌いやすい曲に落ち着くことになる。

その場で決めると何を歌おうか迷うので、行く前にある程度曲を考えておく。

 

好きな歌手の中から、これは歌えそうだなというものをYouTubeで探してみる。最近の曲は、サビだけ知ってて全部は歌えないことが多いので、ちょっと昔のものが多い。

曲巡りをしていると、懐かしのメロディーにたくさん出会うので、ついつい口ずさんでしまう。この時間が意外と楽しい。

小声で歌うという条件付きの、自宅でのカラオケだ。

 

そういえばヒトカラもだいぶ前に行ったきりだなと思う。久しぶりに、思いっきり歌ってみるのもいいかもしれない。まあ、とりあえず今は、2次会で何を歌うかでも考えながら、懐かしさに浸っておこう。

休日の記録

金曜日、楽天市場で注文していたゲーミングチェアが届いた。2万6千円ほどの品が、クーポンやポイントUPで実質1万円ほどの値引きになっていたので、買うならここだと思い、えいっと買った品。

さっそく組み立てに取り掛かる。1人で行うにはちょっとばかしきつい工程もあったけれど、1時間ちょっとで無事完成。

色はグレーで、座り心地も良く長時間座ってても疲れない。オットマンやリクライニング機能もありで良い買い物だった。

 

今日は近くの市立図書館へと出かけた。買ったまま放置されていた「スローでディープな英文精読」という本をしばらく読む。静かな場所でじっくりと読書する時間はやっぱり良い。その後語学コーナーに立ち寄り棚を眺めていると、面白そうな本発見。

「英語ができない私をせめないで」、「英文読解を極める」、「英文法の新常識」の3冊。こちらを借りる。

家の積読本を消化するのがまた遅れそうだけど仕方なし。面白そうな本がたくさんあるというのにそれを読むだけの時間が足りないというのが切実な悩みだ。

長期休暇があればいいのになと思う。しばらくは先の予定がないような長い長い休み。仕事と仕事の合間の短い休みじゃやっぱり物足りないんだよなと毎回感じるのだ。

 

 

 

 

 

没頭できるもの

最近、「The Talos Principle2」というゲームをプレイしていた。「タロスの原理」の続編で、哲学的なストーリーが特徴のパズルゲームだ。

広大なマップの中に配置されたいくつものパズルを解いていく作業は面白くて、充実した時間だった。

簡単なものもあれば、どうやっても解けないんじゃないかというものまで様々で、特に難しいものは、頭をひねって延々と考えることになる。

ゴールから逆算して論理的に答えを導いてみたり、見当がつかないときには手順をしらみつぶしに試したり、時には手をとめてじっくりと考えてみる。

そうやって試行錯誤するなかで、「あっ、こうすればいいんだ」とふっとひらめく瞬間がある。この瞬間がやっぱりパズルゲームの醍醐味のひとつ。

終わったときは、まだまだ解きたいのにな、とちょっと残念な気持ちになった。

こうやってパズルを解いていく時のように、何か一つのことに没頭する時間は幸せな時間だなと思う。お腹が空いたときに大好物のものを食べるのとはまた違った種類の幸せだ。

何かに没頭している時間というのは、目の前のことだけに意識を向けているから、余計な考えが入り込む余地がない。

過去の出来事を思い返してくよくよしたり、将来のことを考えて不安になったりすることもなく、今現在のことだけに意識を集中して、充実した時間をおくれる。

もちろん現実逃避の手段というわけではなくて、趣味のように本当にやっていて楽しいことをするっていうのが大事なことだ。

中には、その時は没頭していても後になって虚しさを感じるタイプのものもあるので(何がとは言わないけれど、経験上)。

他にも、自分の没頭できることっていくつかある。

時々将棋を指すこともあって、その時間もそう。パズルと同じで、いろいろ考えるのが楽しい。

実力が拮抗していて、どちらが勝つかわからないような一進一退の攻防をしている時は、例え負けたとしても、(悔しいけれど)いい時間を過ごしたなぁという充実感がある。

本を読むことももちろんそう。特に小説を読むのが好きで、フィクションの世界に浸っている時間が人生で一番好きな時間かもしれない。読みたい本がまだまだあるから生きている、といってもあながち間違いではないかも。

僕はどちらかというとネガティブ思考なことが多いし、生きるのがめんどくさいとか、人生つまらないとか思いがちな人間だけれど、少なくとも、没頭できるものと出会えたことは幸せなことだと思う。