記録される人生

人生が記録されていきます。

生活のために仕方なく働き続けることの不幸

なぜ働いているのかと聞かれるといくつかの答えが頭に浮かぶ。生活していかないといけないから。働かないのは世間体が悪いから。大人になったらみんな働くものだから。

どの理由をとっても、仕方なく受動的にやってるだけという感じだ。理想を言うなら、仕事それ自体を楽しめるようになりたい。心の底からその仕事にやりがいを感じ、周りから何をしろと言われずとも自発的に動く。何かのためにじゃなく、仕事をすることそれ自体が楽しいという気持ちが原動力となる。そしてその結果として、自分の仕事が誰かに役に立っているという実感を得られたら、より素晴らしいことだと思う。

でもそれはただの理想の話だ。そんな働き方が出来ている人なんてほんの一握りしかいないだろう。生活のため、という動機で働くのはごく当たり前のこと。

それでも、義務的に日々の仕事をこなしていくと閉そく感を感じることがある。なんでこんなことに人生の大半を費やしてるんだろうと考え、これが定年まで続くんだなとときおり虚しくなる。

今の仕事も大してモチベーションを持ってやっているわけじゃない。流されるままこの会社にたどり着いただけで、興味のある仕事でもない。誰かの役に立ってるのかもわからない。ただ会社員の務めとして義務を全うしているだけだ。

働き始めて数年後は、真剣に辞めることを考えていた時期もあった。でも結局は思い直して続けることにした。ただ、マイナスの感情を抱えたまま続けるのもつらいよなと思い、一念発起し、「もっと自分の仕事を好きになってみるか」と前向きに考えてみることにしたのだ。いろんな作業をもっと真剣に取り組んでみる。どんな小さな部分でもいいから、日々のやりがいを見つけてみる。プライベートの時間に、関連する本を読んで知識を取り入れる。

残念なことに、その試みは失敗に終わった。好きでもないことを好きになるっていうのは、結構難しいことだったのだ。その後の日々はまた義務を果たすだけの時間に戻る。ただ昔と今を比べると心持ちだけは少し変わった。当時強く強く感じていた辞めてしまいたいという思いは今は薄れている。

以前は不思議だった。どうしてみんな何十年も毎日毎日働けるのだろうと。会社で定年まで勤め上げる人を見てきて、素直に凄いと思った。自分には到底真似できないことだと。けれども働いてきて思うのは、もしかしたら何とかやっていけるかもしれないという思いだ。気付いたらもう同じ会社で長い事働いている。1日1日は長いのに、振り返ればあっという間だった。この先もそうやって過ぎていくんだろう。

それに仕事なんて、モチベーションがなくもやっていける。というか今までやってこれてしまった。その状態で働き続けることは不幸なことだとは思うけれど、少なくとも現実的な対処として、折り合いをつけていく必要があるのだ。ただ、仕事のために自分の心をすり減らしてしまうことがないようにしたい。