記録される人生

人生が記録されていきます。

話好きな人がちょっとうらやましい

話好きな人というのはたくさんいる。

以前住んでいたアパートの大家さんもそうで、一度口を開いたらしばらくは話が止まらなかった。70代ぐらいの小柄な方で、その方の勢いにいつも圧倒されていた。いろいろな方向に話題は転じて、時々こちらにも質問を投げかける。たまたまアパートの近くで出くわしたりすると、しばらくの間は話を聞くことになるのだった。

話好きな人というのは、誰かに何かを話したくてうずうずしているんだろう。そうした人を見ると、少しうらやましさを感じる。僕はというと、興味の幅が狭いせいか、リアルの場で誰かに何かを話したいという欲求に乏しい。最近あった出来事を何か話せと言われても、しばらくは考え込まないと何も出てきそうにない。何かに対する自分の意見もこれといってなく、他人の噂話にも興味がない。自分の趣味についてぐらいしか語りたいことがないかもしれない。

子どもの頃からこんな感じで、どうやら根本的な性質は大人になっても変わらないらしい。ただ社会に出ると人間関係を作ることは避けられないので、自分のことや考えを話さないわけにもいかない。社内や会社関連の人との会話、飲み会の場などで自己開示をすることになる。けれどもそれも本当に何かを話したいというよりも、社会的にそう求められているからだという気もする。

不思議なのは、リアルでは何かを話したいという欲求が少ないのに、ネットだと自分のことを話してしまってるという所だ。ネットでの発信というのは、一方通行で、不特定多数の人にあてたものだ。相手のリアクションを気にせず好きなことを言いっ放しでいい。重い話や哲学的な話などのように、普段は話せないことも自由に書き放題だ。書いたものは誰にも気づかれないかもしれないし、ひょっとしたら多くの人の目に留まるかもしれない。そうしたリアルとの違いが自分の性に合ってるんだろう。もしネットがなくなってしまったらちょっと困る。