記録される人生

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長期休暇へのあこがれ

世間のどこかには、サバティカル休暇という長期休暇を取れる制度があるらしく、国によっては1か月以上休むのが普通の所もあるみたいだ。

自分には無縁のそんな話を聞くと、うらやましくてため息をついてしまう。

僕は普通の会社員で、カレンダー通りに日々を過ごしている人間だから、長い休みを取ることはできない。GWの祝日の配置がうまいこといけば、ちょっとした休みは取れるだろうけれど、それでもせいぜい1週間といったところ。

そしてこの先定年するまでの長い長い長い間その事実が変わることはないのだから、ちょっとした絶望感を覚えてしまう。

 

土日を上手く楽しめたらいいのだろうけど、労働=苦行と思ってる人間にとっては、土曜日というのは休みの始まりではなく、次なる苦行(月曜日)へのカウントダウンの時間と化してしまうのだ。

そのようなよろしくない精神状態では、いろいろな活動を心から楽しめるはずもない。そんなわけで長期休暇が欲しいなと思うのだ。

 

長期休暇の一番の利点は、永遠に続く労働サイクルを一度断ち切って、気分をリセットさせることにあるんじゃなかろうか。

多くの人は1日8時間週5日、あるいはもっと長い間、労働に従事し、40年もの間働き続ける。

この抗えないループの中に投げ込まれずっと過ごしていると、そりゃあストレスも溜まってしまうし、うんざりもしてくる。ひどい場合には精神的に大きなダメージを受けてしまうのだ。

終わりの見えない環境から脱出して、仕事のことを一切考えないでいい十分な時間を作るのに、長期休暇は一役買ってくれると思う。

1年に1回そんなものがあれば、そのご褒美をモチベーションとして、普段の労働も頑張れるしストレスレベルも軽減されそうだ。

 

それに、その時間では、普段できないようないろいろなことができる。

普通の休みの日だと、次の労働に備えて消耗した体を休めるだけか、何か活動的なことをやるにしても、ちょっと近場に旅行に行くぐらいが限度だ。

どこか遠くの海外にでも行ってしばらく羽を休めてこようなんてもちろん難しいし、ただただ何もせず、自分の人生を見つめなおしたり、まとまった時間で何か勉強したり、興味のある他の仕事をやってみたりなんていうのもなかなか出来ない。

そんないろんなことができる環境があるというのもうれしいことだ。日本でもそんな習慣が根付いてくれたらすごく嬉しい。