記録される人生

人生が記録されていきます。

洋書を読み始めたころの話と、より正確に読むために

英語の勉強と並行して、英語の小説を読むことも2年以上続けている。初めに挑戦したのは、「Diary of a Wimpy Kid」という児童書だった。評価も高いし、イラストも豊富で取っつきやすく、対象年齢も7歳〜12歳。

このぐらいなら、ある程度は自分の英語力でもついていけるのかなと考えていた。シリーズものなので既刊が十数冊あったけど、一冊ずつ買うのもまどろっこしいやと思い、勢いでポチッと大人買い。到着後早速読みすすめてみた。

ところが、いざ読んでみると1ページ目からすでに意味をつかめなかった。わからない単語が所々出てくるのは仕方ない。ただ、簡単な単語ばかりから成る文章であっても、それが全体としてどういう意味なのかがいまいちピンとこない。「あっ、これはまだレベルが高かったのかな……」と思ったものの、せっかく大人買いしたのだから頑張ってみることにした。

けれども、英語勉強をスタートしたばかりの自分にとってはこれが大変な作業だった。わからない単語や、句動詞、慣用句(っぽい)ものがこれでもかと出てくる。その都度辞書を引く作業はわずらわしく、頻繁に読みが中断されてしまう。そうなると、ストーリーを楽しむという行為はもはや二の次になってしまう。

知らない単語に出くわしたら、意味の推測だけして、調べずに読み進めるやり方もあるらしい。ただ、当時はそのレベルには達していなかったし、わからない単語は調べずにはいられない性分なのだ。どうしても意味を読み取れないところだけは、仕方なく飛ばしていった。そうやって根気強くシリーズ10数冊を読み終えたのだけど、この経験は力になったと思う。

 

その後も様々な本に手を出していく中で、徐々に読む力をつけていった。平行して行っていた資格試験の勉強や文法の学び直し、英文読解などを通して英語力全体の底上げが出来たことも、洋書を読む上で大きく貢献してくれたんじゃないかと思う。

2年前と比べると、今はかなり上達した気はする。ただ、日本語と同じレベルで洋書を読めるようになるまでの道のりはまだまだ長いなと感じるのだ。

日本語だったら、文体の違いもすぐわかる。軽快な文や重々しい分、気取った文や淡々とした文など、語彙やリズムからその違いを自然と感じることができる。

人物のセリフを読むだけでも、その人がどういう人物なのか想像でき、丁寧な口調やなれなれしい感じなども単語と言葉遣いから容易にわかる。

でも、日本語では自然と理解できることが、英語となると同じようにはいかない。類義語の微妙な差異やスラング、文化的背景を知っていて初めて理解できる文章など、日本語にはない壁も多くあり、どうしても所々でつまづいてしまう。

 

最近は、洋書をもっと正確に読みたいという気持ちから、翻訳の資格試験を受けてみようと思ってる。

翻訳をするとなると、あいまいな読み方が許されない。漠然とした理解だけでは、それを日本語に置き換えるという作業が難しく、どうしても正確な読み方を身につけないといけないからだ。

でもだからこそ、翻訳の勉強をすることが英文をより深く理解することにつながるし、その結果として、1冊の本をさらに楽しめるようになると思う。それに、何かに挑戦することは英語勉強のモチベーションを保つことにも繋がるのだ。今後の洋書ライフを満喫できるように、少しずつでも今から頑張っておきたい。